毒親とは「毒のような親」の事ではありません
私のブログでは「毒親や虐待」を扱った記事を多く投稿していて、おかげさまで、たくさんのコメント(100万件くらい)を頂いているのですが、
その中に、
親を「毒」呼ばわりする事に違和感がある
という、「毒親や虐待」を考える上で非常に重要な指摘があったので、
今回はこの事について考えていこうと思います。
1. 親を「毒」呼ばわりしていい?
結論から言うと、毒親の「毒」とは、
子どもに与える影響のことで、親の性質のことではありません。
1-1. 由来は?
[毒親]という言葉の由来はスーザン・フォワードの「毒になる親」にあります。
「毒のような親」ではありません。
スーザン・フォワードの主張は、
- 世の中には、子どもに対して、問題ある行動を執拗に継続させる親がいる
- その行動は、やがて子どもの人生を支配する
- それはまるで、毒が徐々に体をまわっていくようなものだ
- そのような行動をする親を「毒になる親」と名付けよう
というものでした。
昔、『シックスセンス』という映画で、子どもに洗剤を少しずつ飲ませていき、子どもを苦しめていく親が出てきましたが、
そのようなイメージです。
なので正直、私も特に違和感なく[毒親]という言葉を使っていたのですが、
確かに、「毒になる親」ではなく[毒親]と省略したら、あたかも「親=毒」と言っているように聞こえます。
しかし、そのような言葉ではなく、
「毒のように子どもを蝕む虐待行為」の恐ろしさを強調しているわけですね。
1-2. 非定型発達との関係
ちなみに、いわゆる「毒親論」は、
「毒親のほとんどは軽度の発達障害(非定型発達)を持っている」という風に続くので、
「親=毒」ではないということを強調しておかないと、「非定型発達の人=毒のような人間」という人格否定にも繋がります。
毒親論は発達障害の関係者からの批判が多いのには、そういった背景があるのかもしれません。
1-3. 親は敵?
さらに、言えば、
世間ではいまだに、
親の育て方で子どもの人生はほぼ決まるので、親は多くの責任を負うべきだし、批判されるべきだ
と思っている方が多く、
精神科医の中にも「自分は患者さん(つまり、子ども)の徹底的な味方です!」と公言する方もいます。
このように、精神科医が「子どもの味方で、親は敵」みたいな感じになってしまうと、子育ては苦痛なものになってしまうし、
[毒親]という言葉を「親は毒だから反抗しようぜ!」という中学生みたいなノリで使う人も増えてくるかもしれません。
2. もともと、込められていた意味
しかし、スーザン・フォワードの時代は、
親から虐待を受けた人々が自分の不幸な体験を語るきっかけとして、[毒親]という言葉が必要でした。
このようなあいまいな概念は、拡大解釈されたり、出版業界が絡んで変なブームになってしまったりしがちなのですが、
もともと、[毒親]という言葉は、
- 虐待を受けた人々のために作られたけど、かといって親を蔑むわけではない
- 親も子も含めて、虐待について考えるためのもの
だったというわけですね。
3. 最後に
今回は読者さんから頂いたコメントをきっかけに記事を書きました。
他にも示唆的なコメントを多く頂いていて、それらについても、代わりべんたん代わりべんたんに言及していこうと思うので、よろしくお願いします。