「知的な下ネタだったら言ってもいい」説について
「爽やかなイケメン(福山雅治など)の下ネタは許される」説が社会にはあるようですが、
今回は「知的な下ネタはもっと許される」説の話をしようと思います。
1. 精神分析はすごい
[精神分析]やその流れを汲む[ポストモダン哲学]は知的な下ネタの最高峰だと言えるでしょう。
1-1. 辛辣な批判
例えば、ポストモダン哲学の代表的人物のジル・ドゥルーズは、うろ覚えですが、
と述べました。
「悪逆非道なナチスは、実は大衆を熱狂させていた」というのは、よく耳にする話だと思いますが、
ドゥルーズはその歪さや下品さを「ぼっ〇」という言葉を使って批判したわけですね。
1-2. 男根中心主義
「ぼっ〇」はまだ良い方で、
「陰核(クリトリス)から膣(ヴァギナ)への性感被刺激性の移行」を女性の健全な発達とみなしていました。
女性は成長すると男性との性行為で快楽を得るようになるというわけです。
2. 膣オーガズム神話とは
これにかみついたのが、ラジカル・フェミニストのアン・コートです。
アン・コートはラジカル・フェミニズムの中ではすこぶる評価の高い「膣オーガニズムの神話」を発表します。
膣オーガニズムの神話は,挿入─射精─次代再生産という男の性欲望と生殖機能を機軸に女の性欲望を矮小化して作られたものであるから,女は自分自身の性の快楽(クリトリスの快楽)を取り戻さなければならないと主張した。(出典元:竹下和子『フェミニズム』)
(赤文字は引用者)
なんだかよくわからないのですが、
- 膣の快楽は男性の性器に受動的でないと得られない
- それは腹立つので、女性はクリトリスで自分自身で快楽を得るようにすべきだ
とのことです。
額面通り受け取れば、女性に自慰行為を勧めているだけなのですが、
驚くことに、20世紀後半のフェミニズムでは、これが革命的宣言としてもてはやされたそうです。
おそらく、
- アン・コートの煽るような文体
- 男性の性欲望との闘いを全面的に押し出した
これらによって、このようなお下劣な主張も革命的宣言になったわけですから、文章の力はすごいですよね。
3. 女はいたるところに性器を持つ?
今回も、実はフェミニズムについての話だったのですが、なんだか取り留めのない話になってしまいました。
しかし、フェミニズム自体が、20世紀後半に男性の性暴力との闘いや精神分析を取り入れていった結果、
ついには、
女はいたるところに性器をもち、ほとんどどこにおいても快楽を見つける(出典元:リュス・イリガライ『ひとつではない女の性』)
このような滅茶苦茶な主張をするように至ったので、この時代のフェミニズムの話をするのは非常に難しいのです。
この辺りの話は、また元気モリモリな日にやろうと思います。
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