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ラジカル・フェミニズムという「男性と闘う思想」について ②

ラジカル・フェミニズム②

今回も引き続き、ラジカル・フェミニズムの紹介をしていきます。

1. ラジカル・フェミニズムの変容

ラジカル(根っこ)

ラジカル=根っこ

フェミニズムにはいろいろな流派があり、各流派はそれぞれの方法で「女性のため」の活動をします。

そして、例えば、

というふうに、名前を見ただけでどのような理論に依拠しているかが分かります。

ですが、[ラジカル・フェミニズム]は一体何に依拠しているかがわからないし、実際、主張もゴチャゴチャです。

1-1. 二つの側面

しかし、大体まとめると、ラジカル・フェミニズムは、

  1. 女性ならではの理論を作りたい
  2. 男性社会を批判したい

という2つの側面から成り立っています。

例えば、『フェミニズム入門』の中で、大越愛子氏は、

未だ男性理論の優等生であるという自己陶酔に未練を残す先行世代(出典元:大越愛子『フェミニズム入門』)

(赤文字は引用者)

というふうにリベラル・フェミニズムを評しているのですが、

こんな感じでdisるなら、ラジカル・フェミニズムは、今度は女性理論をつくらなければならないですよね。

そこでラジカル・フェミニストたちは「女性の本質論」とか「女性学」とかを始めるのですが、

やはり、ド派手でスカッとする「2. 男性社会を批判する」側面の方が次第に目立つようになります。

1-2. 男性社会への批判

家父長制、古い家

前回、少しだけ紹介した[家父長制]という言葉は、まさに男性社会を批判するためのものでした。

まあ、正直、複雑でよくわからないところもあります。

それでも、

社会制度のみならず、教育文学にも内在している「男尊女卑的要素」を分析するという、壮大な試み感はありました。

それに、一応、あくまでも「男性を優位にする社会の批判」が名目でした。

しかし、ラジカル・フェミニストが「性暴力との闘い」を掲げたあたりから、「男性社会の批判」は「男性批判」へとシフトしていったのです。

1-3. 性暴力との闘い

男性は女性よりも「性欲」や「暴力性」が強い生き物なのですが、

ラジカル・フェミニズムそのことこそが女性への抑圧の原因だと主張するようになります。

例えば、大越氏はこのように言います。

性暴力の頻発が示しているのは、全ての女性が潜在的な性暴力の被害者たりうるという可能性である。(出典元:同上)
男性たちが気づかないままに内面化している性暴力の政治学を、意識化させていく作業が必要であろう。(出典元:同上)

「性暴力の政治学」が何を意味しているのかは、よくわかりません。

ですが、とにかく、

「男性は気づかない内に性暴力をしているので、それを気付かさせなければならない」ということです。

しかし、ここには、

「ラジカル・フェミニスト=正義 / 男性=危険な存在 」という単純な構図があるのではないでしょうか。

また、「全ての女性が潜在的な性暴力の被害者たりうる」というのも危機感を煽り過ぎだと思います。

2. 防衛と攻撃は紙一重

もちろん、「女性を守りたいだけで、男性を攻撃したいわけではない」という反論もあるでしょう。

しかし、ナポレオンが「フランスの防衛」を掲げながら周辺諸国を荒らしまくったように、防衛と攻撃は紙一重なのです。

最後に、私としては、

  • 男女平等を掲げていたリベラル・フェミニズム
  • 「男性批判」ではなく、「男性を優位にする制度や文化の批判」をしていた初期のラジカル・フェミニズム

の方が良いと思うのですが、この辺は好みの問題かもしれません。

以上です。ありがとうございました。

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