虐待された子を最も苦しめるのは精神科医だった?
今回のテーマは「なぜアダルトチルドレンは死語になったのか」です。
で、一応、
agonarisannotou.hatenablog.com
こちらの記事の続編になりますが、単体でも読めるように書いていくので、さっそく本編に入りましょう!
1. アダルトチルドレンとは
アダルトチルドレン(AC)とは、
親の不適切な子育てが原因で「生きづらさ」を抱えたまま大人になった人のこと。
よって、いわば「虐待を受けた側の人」に関する言葉で、
- そのような人を社会全体が配慮できるようにする
- 被害者が声をあげたり、被害者同士が連帯したりできるようにする
という利点がありました。
また、アダルトチルドレンには、
- アルコール依存症の親から育てられた人
- 様々なタイプの虐待親から育てられた人
という2つの意味があります。
まあ、元々は1の意味だったのですが、それが拡大解釈されて2の意味も持つようになったというわけですね。
さて、この「拡大解釈された」というのがポイントです。
2. さらなる拡大解釈とブーム化
アダルトチルドレンはさらに超拡大解釈されて流行語になります。
と言っても、世界中の国で超拡大解釈されたり、流行語になったりしたのかはわかりません。
しかし、少なくともここ日本では、1995年頃に「アダルトチルドレンブーム」は起こりました。
2-1. 仕事し過ぎたら虐待?
例えば、こんな風に拡大解釈されます。
斎藤ら(斎藤学)は、近代家族(核家族)の特性に家族の機能不全性を見いだし、企業戦士で仕事に依存する父、夫の仕事依存を可能にする良妻賢母的な共依存の母に育てられ、勉強依存の傾向がある子など、明らかな虐待を受けたわけではない人の多くにも、アダルトチルドレンの問題があると考えられるようになった。(Wikipedia)
(太字や赤文字は引用者)
2-2. 社会評論に便利な概念に
斎藤学氏の主張は分かりやすいですよね。
「企業戦士」「勉強依存(おそらく念頭にあるのは受験戦争)」といった当時の社会問題をアダルトチルドレンと安易に結びつける。
しかし何と言うか、これは精神科医の意見というよりも評論家やコメンテーターとしての意見にも感じます。
現に、[アダルトチルドレン]という用語は、次第に精神医学界からは敬遠されていきました。
2-3. 自分がACと思えばAC
拡大解釈はまだ終わりません。
臨床心理士の信田さよ子は、本人が機能していなかったと考えればそれは機能不全家族であるとし、「私はACを『自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人』と定義づけている」「自分がACと思えばAC」と述べ、アダルトチルドレンは自己認知の問題であり、医師やカウンセラーが一方的に診断して与えるレッテルではなく、病気でもないとしている。
しかし、この信田さよ子氏の言動には違和感がないでしょうか。
2-3-1. 親子関係が成り立たなくなる
客観的な証拠に基づかず自己申告のみで「自分が生きづらいのは親のせいだ」「うちは機能不全家族だ」などと言い出したらもはや子育ては出来ず、親子関係は成り立たなくなります。
その結果[アダルトチルドレン]という用語は、世間から飽き飽きされ、1999年には死語になってしまいました。
2-3-2. カウンセラーの責任放棄
また、「カウンセラーが一方的に診断して与えるレッテルではなく」というのは、言い換えればカウンセラーはその診断に責任を負わないということです。
患者が「自分が生きづらいのは親のせいだ」と思い親子関係が破綻したとしても、それは患者が勝手にやった事でしょ?
と言っているようにも聞こえないでしょうか。
3. 毒親・愛着障害ブームへ
以上のように、アダルトチルドレンは、
- 虐待を受けた人を社会全体が配慮できるようにする
- 被害者が声をあげたり、被害者同士が連帯したりできるようにする
という利点を持った言葉だったのですが、一部の精神科医が超拡大解釈した結果、
- 精神医学界からは敬遠される
- 世間からは飽き飽きされる
という憂き目にあいました。
現在は[毒親]や[愛着障害]がブームになりつつあるのですが、
ブーム化した結果、本当に虐待で苦しんでいる子や本来の意味でのアダルトチルドレンの人々はどのような扱いを受けるようになるのか
そのことに深く配慮するべきでしょう。