親の責任追及派 vs 親を悪く言うな派 でも一番悪いのは〇〇
私のブログでは[虐待]や[毒親]の話をけっこうしているのですが、
この手の話には、
- 親を悪く言うのか
- 虐待の冤罪事件もある
という意見は付き物です。
というわけで、今回はこれらの意見について考えていこうと思います。
1. 親の責任追及派と親を悪く言うな派
虐待や毒親関係の話は、
- 「親の責任を追及する」派
- 「親を悪く言うな」派
の2つが対立しています。
この両者はどちらも一理あるし、育ってきた環境によって意見が変わるものなので、なかなか議論の決着はつきません。
しかし、カウンセリングやサイコセラピー界隈は基本的に「我々は徹底的に子どもの味方だ」という空気で動いていると言ってもいいでしょう。
2. 虐待の冤罪について
カウンセラーたちだけではありません。
警察もこぞって「虐待親」を見つけ出そうとした時代も確かにありました。
1980年代(アメリカで)、幼児虐待の告発が相次ぎ、注目を集めたことから、何人かの研究者が、この点について再度実験を行なった。その結果、驚くべき結果が得られている。就学前の子供の場合、虐待(大声で怒鳴る、ぶつ、服を脱がせるなど)に関するまったく嘘の証言をさせることが簡単にできたのだ。(出典元:D.J.リンデン『脳はいいかげんにできている』)
(赤文字は引用者)
著者のD.J.リンデンは「就学前の子どもは嘘つきで信用ならない」と言っているわけではありません。
※「就学前」とは、6歳までのこと
ある方向に誘導するような質問をする、特定の答えをするようそれとなく促す、何度も同じ質問を繰り返すといった手法を使えばいいのだ。1980年代に、セラピストや警察が、保育士を告発するための証拠作りに使った手法がまさにこれだった(出典元:同上)
このように、
セラピストや警察が「子どもに虐待されたように思わせる」ことが問題だと指摘しているのです。
この時、つるし上げられたのは[保育士]たちだったのですが、[親]に対しても同じ事が言えます。
要するに、
セラピストや警察が「憎き虐待親」を見つけ出そうとするあまり、憎き虐待親を作り出してしまうこともある
というわけですね。
3. 虐待を発見する時のポイント
D.J.リンデンは虐待親を見つけ出す時のポイントとして、
虐待について、子供が自発的に話してきた場合、それは本当であることが多いので、詳しく調査してみる価値があるだろう。だが、たとえ虐待が疑われる状況でも、子供への質問は極めて慎重にしなくてはならない。(出典元:同上)
このように言います。
実際、子どもは助言や分析を無理やりしようとする人よりも、「こわかったね」などと共感を示す人に心境を語りたがります。
もちろん、虐待の徴候が見れれるにもかかわらず、それを話したがらない子どももいるのですが、やはり、
- 誘導するような質問はしない
- 特定の答えをするよう促さない
- 何度も同じ質問を繰り返さない
ということが重要でしょう。
※「虐待と冤罪」に関しては、いずれまた書こうと思います。
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カルト教団と「毒家」の恐ろしさを紹介するよ
今回はカルト教団の恐ろしさを紹介しつつ、「実は、カルト教団のような家庭はあなたのそばにあるかもね」的な、
そんな、園子温監督の映画のような話をしようと思います。
1. カルト教団の特徴
カルト教団の主な特徴を挙げます。
- リーダーは特別で「すべてがわかる人物」だとされる
- 自分たちと部外者を明確に区別する
- メンバーの行動は管理される
- 教団に対する裏切りは許されない
- リーダーや教団に対する異議の申し立てや質問は許されない
この中で特に重要なのが1と2です。
1-1. カルト教団の教祖の特徴
カルト教団のマインド・コントロールを受ける人の多くは、何らかの不安を抱えているため、
自分を救済してくれそうな「すべてがわかる人物」を強く求めます。
また、偉大な目標も求めます。
カルト教団の教祖は、それらを与えるのが非常に上手いわけですね。
他にも、カルト教団の教祖は、
- 猜疑心が異常に強い
- 「純粋でないもの」を忌み嫌う
という、かなり変わった特徴を持っており、自分のペースに相手を巻き込むことが多い人物だと言えるでしょう。
1-2. 非メンバーとは
ミシェル・フーコーやジャック・デリダなどのポストモダン哲学系の人々は、
集団というのは、否定的に感じられるものを排除することによって、アイデンティティを確立する
的なことを言いました。
[ネトウヨ]と呼ばれる人たちが、中国人や韓国人を排除することによって日本人であることの誇りを持とうとするみたいな感じです。
もう少し理性的になってくると、「政治的には対立していても、中国や韓国にも良い所はあるよね」的な感じになってきます。
しかし、カルト教団にはこのような冷静さが見られません。
いつまでも、
- 素晴らしい「自分たち」
- それを脅かす不快な「部外者」
という対立構造を持ちつづけるわけです。
2. 毒親ならぬ毒家
世の中にはカルト教団によく似た構造をもつ、いわば「毒家」も存在します。
これは、以前紹介した、
- 完全主義で支配的な親
- 子どもと心理的に一体化している親
の上位互換で、いわば、家全体が完全主義に支配されていたり、心理的に一体化してしまっています。
2-1. 例えばこんな家庭
例えば、Aさんの父親は、
- ステータスや世間体を重視する
- 子どもが完璧でないと気が済まない(粗探しばかりする)
という完全主義者でした。
さらに、この家庭では、母親も父親の完全主義に心酔していました。
こうなってくると、子どもは親の意向に従わざるを得ません。
この家庭では、
- 父親が会社のエリート役員で、さらに出世することが家全体の誇りとされていた
- ライバル社員を敵視し、ライバルがうらやむ家庭をつくることを家全体の目標にしていた
その結果、Aさんは成績や服装はもちろん、しゃべり方にいたるまで、親に厳しくチェックされていたようです。
2-2. 自分一人が疑問を持ったら
Aさんには兄弟もいたのですが、
カルト教団のような家庭で自分一人が家の方針に疑問を持ったら、親のみならず兄弟からも叱責される場合があります。
カルト教団には「リーダーや教団に対する異議の申し立てや質問は許されない」という原則がありましたが、
カルト教団のような家庭にも独特な張り詰めた空気感があり、少しでも波風を立てたら大きなパニックが起こるのです。
2-3. 洗脳が解けた時
[家族]には、もともと強いつながりがあるのですが、
そこにカルト教団の教祖のような親が加わると強力な運命共同体が出来上がります。
子どもは親から洗脳された状態なら、まだましなのかもしれません。
しかし、ひとたび洗脳が解けると、大きなストレスに襲われるのです。
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過干渉は「毒」なのか?「愛」なのか?
今回は久々に[過干渉な親]について書いていきます。
過干渉な親には、
- 子どもは所有物だと思っている親
- 子どもと心理的に一体化している親
の2タイプあるのですが、
今回は2の親を紹介します。
1.「子どもと心理的に一体化している親」の特徴
「子どもと心理的に一体化している親」の特徴をいくつか挙げます。
- プライベートなことをあれこれ詮索したがる
- 子どもにとって重要なことを勝手に決めてしまう
- 子どもの自立を妨げようとする
- 自分が望むことと子どもが望むことの区別がつかない
最大のポイントは自分の望みと子どもの望みの区別がつかない点です。
1-1. 自分が空になる感覚
そのような親の心理状態をスーザン・フォワードはこのように分析します。
子供が成長して独立し、家を出ていった後に、残された中高年の夫婦によく見られる精神不安定な状態を「巣立ち症候群」というが、コントロールしたがる親は子供がまだ幼いうちからこの症候群と似たような不健康な不安感を抱いている。(出典元:スーザン・フォワード『毒になる親』)
(赤文字は引用者)
このように、子どもと分離すれば自分が空になってしまうという感覚があるので、
子どもの生き方をコントロール(過干渉)してしまうようです。
1-2.思春期が境目
と言っても、多少の干渉を行わなければ子育てはできません。
どのような親でも、子供がひとり歩きできるようになるまでは何らかのコントロールが必要なのは当然のことだ。だがノーマルな家庭では、子供が思春期をむかえた少し後くらいからコントロールの程度を減少させる(出典元:同上)
対する、過干渉な親は思春期を迎えた後でも干渉の程度を弱めません。
実際、人間には「思春期を迎えたくらいの子どもに対する干渉を弱めるような本能」が備わっているそうです。
幼児に比べ、思春期以降の子は体の大きさや匂いが大人に近づくため、それを脳が感じ取り、あまり干渉しなくなります。
しかし、過干渉な親には何らかの理由でそのような本能が働かないようです。
2. 過干渉の事例
また、スーザン・フォワードやダン・ニューハースが[過干渉な親]と想定している親はかなり強烈です。
例えば、Aさんの場合、
- 自分の嫌いなものを子どもが食べていると、怒って無理やり自分の好きなものを食べさせようとする
- 子どもが論文を書いていると、それを取り上げて自分で書き直す
また、Bさんの場合、
- 留守の間に部屋に入って勝手に掃除をし、クローゼットの中身を点検する
- 仕事で地方に行く時などに「危ないから」という理由で、ついて来ようとする
そうは言っても、特にBさんの行動は「愛情たっぷりで子離れが出来ない親」的な笑い話として捉えられるかもしれません。
しかし、「子どもと心理的に一体化している」タイプの過干渉親の恐ろしさは、子どもに拒否された時にあらわになります。
3.毒なのか愛なのか
なかなか子離れが出来ない親も、子どもに拒否されたら、一応、子どもの意見を尊重するでしょう。
しかし、過干渉な親は子どもに拒否されたら、深く傷つき取り乱したり、逆に裏切られたと思い、口汚くののしったりします。
その結果、子どもは強い罪悪感を覚え、常に親に気を使うようになります。
ここまで来ると、過干渉は「愛」ではなくて「毒」だと言われても仕方がないでしょう。
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「知的な下ネタだったら言ってもいい」説について
「爽やかなイケメン(福山雅治など)の下ネタは許される」説が社会にはあるようですが、
今回は「知的な下ネタはもっと許される」説の話をしようと思います。
1. 精神分析はすごい
[精神分析]やその流れを汲む[ポストモダン哲学]は知的な下ネタの最高峰だと言えるでしょう。
1-1. 辛辣な批判
例えば、ポストモダン哲学の代表的人物のジル・ドゥルーズは、うろ覚えですが、
と述べました。
「悪逆非道なナチスは、実は大衆を熱狂させていた」というのは、よく耳にする話だと思いますが、
ドゥルーズはその歪さや下品さを「ぼっ〇」という言葉を使って批判したわけですね。
1-2. 男根中心主義
「ぼっ〇」はまだ良い方で、
「陰核(クリトリス)から膣(ヴァギナ)への性感被刺激性の移行」を女性の健全な発達とみなしていました。
女性は成長すると男性との性行為で快楽を得るようになるというわけです。
2. 膣オーガズム神話とは
これにかみついたのが、ラジカル・フェミニストのアン・コートです。
アン・コートはラジカル・フェミニズムの中ではすこぶる評価の高い「膣オーガニズムの神話」を発表します。
膣オーガニズムの神話は,挿入─射精─次代再生産という男の性欲望と生殖機能を機軸に女の性欲望を矮小化して作られたものであるから,女は自分自身の性の快楽(クリトリスの快楽)を取り戻さなければならないと主張した。(出典元:竹下和子『フェミニズム』)
(赤文字は引用者)
なんだかよくわからないのですが、
- 膣の快楽は男性の性器に受動的でないと得られない
- それは腹立つので、女性はクリトリスで自分自身で快楽を得るようにすべきだ
とのことです。
額面通り受け取れば、女性に自慰行為を勧めているだけなのですが、
驚くことに、20世紀後半のフェミニズムでは、これが革命的宣言としてもてはやされたそうです。
おそらく、
- アン・コートの煽るような文体
- 男性の性欲望との闘いを全面的に押し出した
これらによって、このようなお下劣な主張も革命的宣言になったわけですから、文章の力はすごいですよね。
3. 女はいたるところに性器を持つ?
今回も、実はフェミニズムについての話だったのですが、なんだか取り留めのない話になってしまいました。
しかし、フェミニズム自体が、20世紀後半に男性の性暴力との闘いや精神分析を取り入れていった結果、
ついには、
女はいたるところに性器をもち、ほとんどどこにおいても快楽を見つける(出典元:リュス・イリガライ『ひとつではない女の性』)
このような滅茶苦茶な主張をするように至ったので、この時代のフェミニズムの話をするのは非常に難しいのです。
この辺りの話は、また元気モリモリな日にやろうと思います。
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「性的暴行」と「性的搾取」と「性的虐待」の違いについて
今回は性的暴行(性暴力)という語りにくいテーマについて書いていくのですが、
まずは[性的暴行][性的搾取][性的虐待]の違いについてまとめます。
1. 性的虐待とは
性的虐待の定義に関しては、森田ゆり氏の著作『子どもへの性的虐待』を参考にさせていただきます。
1-1. 十八歳未満が対象
まず、前提として、性的虐待は「18歳未満の子ども」に対する性的行為を指します。
1-2. 二種類の性的虐待
性的虐待には[性的暴行]と[性的搾取]の2種類あります。
1-2-1. 性的暴行(性暴力)とは
- レイプ、その他の性的行為の強要や誘導
- 意図的に性器や性交を見せる
なお、性器をさわる、さわらせるというのも「その他の性的行為」に分類されます。
1-2-2. 性的搾取とは
- ポルノグラフィ(性的な映像、絵)のモデルにする
- 人に見せるために性的行為をさせる
- 売春をさせる
1-2-3. 同意の有無
「性的行為の強要や誘導」とのことですが、一定の年齢に達していない場合(日本では13歳未満)は、
同意の上での性的行為も性的虐待とみなされます。
1-3. 保護者以外からの虐待
また、[性的虐待]と言えば、親(保護者)から子へのものを想像しがちですが、
性的虐待は保護者によるものよりも、教師、近所の人、親戚、兄弟など保護者以外の人からの加害のほうがはるかに多い。(出典元:森田ゆり『子どもへの性的虐待』)
(赤文字は引用者)
という事実も見逃せません。
なぜなら、
日本の法律(児童虐待の防止等に関する法律)では「保護者による虐待」しか虐待と想定していないからです。
2. フェミニズムにおける性的暴行
性的暴行(性暴力)について徹底的に考えたのがフェミニストの中でもラジカル・フェミニストと呼ばれる人たちです。
2-1. 四種類の性暴力
ラジカル・フェミニズムは、性暴力には4種類あると考えます。
- 直接的暴力→レイプ、性器を見せるなど
- 身体的暴力→レイプ等で性器を傷つける
- 儀礼的暴力→割礼、夜這い習慣など
- 間接的暴力→ポルノグラフィー、セクハラなど
言うまでもないですが、この4種類の性的暴行は子どもに対してだけではなく、大人に対して行われたものも含まれます。
2-2. 性暴力が男性支配につながる?
その他の重要なポイントを大越愛子氏の著作『フェミニズム入門』から引用します。
性暴力の頻発が示しているのは、全ての女性が潜在的な性暴力の被害者たりうるという可能性である。(出典元:大越愛子『フェミニズム入門』)
要するに、
ラジカル・フェミニズムが性暴力として想定しているのは、男性から女性への性暴力で、全ての女性がその脅威に晒されている
ということです。
他には、
性暴力は、決して個人的な欲望の爆発などではなく、男性支配と性差別を、自然であるかのごとく維持し続けていくために、社会の中へと構造化された暴力なのである。(出典元:同上)
要するに、
性暴力は加害者の性欲を満たすだけではなく、男性が女性を支配する社会を作ることにもつながっている
ということです。
そして、男性支配のために活用されているのがポルノグラフィーである
とのことですが、この「エッチなポスター陰謀論」については、別の機会に紹介しようと思います。
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ラジカル・フェミニズムという「男性と闘う思想」について ②
今回も引き続き、ラジカル・フェミニズムの紹介をしていきます。
1. ラジカル・フェミニズムの変容
フェミニズムにはいろいろな流派があり、各流派はそれぞれの方法で「女性のため」の活動をします。
そして、例えば、
というふうに、名前を見ただけでどのような理論に依拠しているかが分かります。
ですが、[ラジカル・フェミニズム]は一体何に依拠しているかがわからないし、実際、主張もゴチャゴチャです。
1-1. 二つの側面
しかし、大体まとめると、ラジカル・フェミニズムは、
- 女性ならではの理論を作りたい
- 男性社会を批判したい
という2つの側面から成り立っています。
例えば、『フェミニズム入門』の中で、大越愛子氏は、
未だ男性理論の優等生であるという自己陶酔に未練を残す先行世代(出典元:大越愛子『フェミニズム入門』)
(赤文字は引用者)
というふうにリベラル・フェミニズムを評しているのですが、
こんな感じでdisるなら、ラジカル・フェミニズムは、今度は女性理論をつくらなければならないですよね。
そこでラジカル・フェミニストたちは「女性の本質論」とか「女性学」とかを始めるのですが、
やはり、ド派手でスカッとする「2. 男性社会を批判する」側面の方が次第に目立つようになります。
1-2. 男性社会への批判
前回、少しだけ紹介した[家父長制]という言葉は、まさに男性社会を批判するためのものでした。
まあ、正直、複雑でよくわからないところもあります。
それでも、
社会制度のみならず、教育や文学にも内在している「男尊女卑的要素」を分析するという、壮大な試み感はありました。
それに、一応、あくまでも「男性を優位にする社会の批判」が名目でした。
しかし、ラジカル・フェミニストが「性暴力との闘い」を掲げたあたりから、「男性社会の批判」は「男性批判」へとシフトしていったのです。
1-3. 性暴力との闘い
男性は女性よりも「性欲」や「暴力性」が強い生き物なのですが、
ラジカル・フェミニズムはそのことこそが女性への抑圧の原因だと主張するようになります。
例えば、大越氏はこのように言います。
性暴力の頻発が示しているのは、全ての女性が潜在的な性暴力の被害者たりうるという可能性である。(出典元:同上)
男性たちが気づかないままに内面化している性暴力の政治学を、意識化させていく作業が必要であろう。(出典元:同上)
「性暴力の政治学」が何を意味しているのかは、よくわかりません。
ですが、とにかく、
「男性は気づかない内に性暴力をしているので、それを気付かさせなければならない」ということです。
しかし、ここには、
「ラジカル・フェミニスト=正義 / 男性=危険な存在 」という単純な構図があるのではないでしょうか。
また、「全ての女性が潜在的な性暴力の被害者たりうる」というのも危機感を煽り過ぎだと思います。
2. 防衛と攻撃は紙一重
もちろん、「女性を守りたいだけで、男性を攻撃したいわけではない」という反論もあるでしょう。
最後に、私としては、
の方が良いと思うのですが、この辺は好みの問題かもしれません。
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ラジカル・フェミニズムという「男性と闘う思想」について ①
今回は「フェミニズムの本丸」とも言うべき、[ラジカル・フェミニズム]の紹介をしようと思います。
1. 様々な概念の創造
「フェミニズムの本丸」というキャッチコピーは、さっき私が勝手につけたものなので、別に覚えなくて良いのですが、
なぜ「本丸」なのかと言うと、
そして、このように影響力を持ち得た理由は、ラジカル・フェミニズムが様々な問題提起をしたからでしょう。
1-1. 男女平等から女性の尊厳へ
19世紀~20世紀前半にかけてのフェミニズムは[リベラル・フェミニズム]と呼ばれ、
- 主にインテリっぽい人が担っていた
- 女性が男性と同じ権利(参政権や教育など)を獲得することを目指した
という特徴を持っていました。
しかし、それに対して、
「男性と同じ権利を得て形式的に男女平等になっても、人々の意識が男尊女卑のままだったら意味がない!」
と言って登場したのが、ラジカル・フェミニズムです。
1-2. 家父長制
しかし、この「男尊女卑」の定義はあいまいでした。
ラジカル・フェミニストは男尊女卑的社会を指す言葉として[家父長制]という言葉を編み出すのですが、
[家父長制]もあいまいな言葉だったので、中には気に入らない相手に対して「君の考え方は家父長制に染まっている!」と言ってキレる人もいたようです。
まあ、でもトータルで見たら素晴らしい概念だと思います。
1-3. ジェンダー、リプロダクティブ・ライツ
ラジカル・フェミニズムを語る上で欠かせないのが、[意識覚醒(意識高揚運動)]という特殊なミーティングです。
これによって明らかになったのが、「生殖機能(つまり、子どもを産む力)」を持つが故の女性への抑圧でした。
要するに、
- 女性は「出産する役割」として家に置かれ、出産・育児・家事を任される
- 子どもに近い存在とされ、子どもと同列に扱われる
というわけですね。
もちろん、女性の中には「育児」や「母性」を素晴らしいものだとする方も多くいると思うのですが、
ラジカル・フェミニストは「それらは家父長制によって押しつけられたものに過ぎない」と主張するわけですね。
ちなみに、「生殖機能を持つ性」を乗り越えるために編み出されたのが、[ジェンダー]や[リプロダクティブ・ライツ]という有名な概念です。
2. 反男性思想へ
このように、ラジカル・フェミニズムは様々な概念を編み出しました。
他には、
- 男性が作った問に頼るのではなく、女性自らの学問を作る
- 女性の本質を探す
という目標や気概を持っていたのですが、
なんやかんやで、男性をdisる運動に変貌していった感じです。
これに関しては、
- 女性社会を作るより男性社会を批判する方が楽だった
- 批判することで人気が得られた
などの理由が挙げられるでしょう。
(つづく)
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